<サッドマネージメント塾-第1夜>
人は悲しくなると涙が出ます。
希には涙しない人もいますが。
子供が泣くと、泣いたらいかん! と大人は言います。
大人が泣いても、泣いたらダメ、泣かないで 、と周りの人は言います。
泣くのを止めようとするのは、つまり励ましの代替行為。
泣くのをやめたら、悲しみが消えるような気がするのですね。
これは、後でふれますが、あながち間違ってはいない。
それに、目の前の人の涙は、伝染して、こちらまで辛くなるから、やめてもらいたいという気持ちも働くのではないでしょうか?
さて、このように、悲しいときに流れる涙は良くないものでしょうか?
no。そんなことはない。
あなたもきっと、そう思いますよね。
痛みが、体を傷つけるものから守るためのアテンションであるように、
涙は、おそらく、傷ついたこころを癒すための緩和剤なのだと思います。
悲しいなら、泣きなさい。
もっと泣いて、泣いて。
思う存分に泣くんですよ。
私はこれが本当の慰めだと考えます。
いくら泣いていても、泣き止まない人はいない。
涙が枯れるまで、と言いますが、本当に体液の全てが涙に変わって枯れ果ててしまった人の話は聞いたことがありません。
涙は、いつか止まり、気分はいくぶんすっきりとする。
涙には浄化作用がある、そういう人もいますね。
泣きたいときには思う存分に泣く。
ブログタイトル通り、
Sad anagementの第一歩はこれです。
ところで、泣くのをやめさせることへの一理について。
人は、悲しいから泣くのでしょうか。
それとも、涙が出るから悲しくなるのでしょうか。
そりゃあ前者、悲しいから涙が出るに決まっている。
ほとんどの人がそう思うでしょう。
ところが、そうでもないらしいです。
認知心理学では、涙が出ることによって悲しみの感情が現れる、ということも実証されているそうです(ジェームズ・ランゲ説)。
肉体の動きによって、感情を制御することができるのです。
だから、涙を止めることができれば、悲しみも減ります。
たとえば、泣いている人をくすぐったり、ぴょんぴょん跳ねさせたり、
とにかく泣けない状態にしてしまい、涙が止まると、少なくとも一時的には悲しみの表情は薄れます。
泣きながらくすぐられている、泣きながら飛び跳ねている、
そんな人は見たことがありませんね。
ただし、一時的に涙を止めて、悲しみを中断できたとしても、
悲しみはまた込み上げてきて、涙が溢れてきます。
やはり、涙が自然に止まるまで、枯れ果てるまで、泣いて昇華させたほうがいいのではないでしょうか。
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